「雑草」という草ははない、かもしれないけれど別に雑草でいい
今回のお話は、「すみっコぐらしの世界は優しくて、とにかくささきはすみっコぐらしが好き」という内容。
私はすみっコぐらしが好きだ。
すみっコぐらしの世界はすべて、ありのままを受け入れてくれているように思う。
とても温かくて、胸がキュッとするような、そんな世界なのです。
世の中に雑草という名の植物はない
という、植物学者の牧野富太郎氏が仰っている。
その言葉の意味について、私はみんなちゃんとそれぞれ名前があり、存在する意味があるのだと解釈している。
一つ一つに個性があり、アイデンティティを持っている、それは大事なことだとも思う。
その一方で、雑草を雑草としてただ受け止めるでもいいじゃないかとも思う。
名前が分からなくても、何者でもなくても、ただ受け止めることができる。受け止めてもらえる。
名前がなくても、雑草でもいい。
その事実は私にとって、安心できるような、ホッとするような心持ちになるのだ。